秋田市立中学
昭和19年4月
秋田市将軍野のある秋田市立中学校(
現在の秋田県立秋田中央高等学校で、当時の校舎は昭和42年3月18日、火災で消滅しましたが場所は変わっていません
)に入学しました。
船岡村一の渡(
現在の大仙市協和船岡上一の渡
)の伯父の家に間借りし、そこから土崎まで通学するようになってからは殆ど病気をしなくなり、小学校時代はできなかった鉄棒の逆上がりも、練習もしないのにできるようになりました。
戦時中でしたので、授業は大体午前中だけで、午後は秋田十七連隊の部隊農場(
現在の陸上自衛隊秋田駐屯地付近
)で農作業の手伝いをしたり、学校の東側の砂漠で木銃をかついでの軍事訓練をさせられたりしました。終戦の前日の夜、秋田市土崎の精油所が爆撃され、多数の市民が亡くなられましたが、爆弾が炸裂した音は船岡村にも聞こえました。
昭和20年8月15日
終戦、学校で天皇陛下の玉音を聴き涙しました。中学2年の夏のことでした。
(June. 24,2015
成田裕一
)