医療情報


 医療情報処理との出会い
 昭和58年  この頃から、健康や医療の分野にパソコンを利用するようになりました。その頃私は秋田大学放射線同位元素委員会の委員をしており、医学部の教職員向けの放射線防護の講習会で放射線測定の講師ををしておりましたが、そこで前記委員会の委員長をされて居られた 滝澤行雄先生 当時医学部公衆衛生学教授、その後国立水俣研究所所長をされた。秋田大学名誉教授 )と親交を持つようになり、先生や、同じ医学部の先生方のデータ処理をしてあげるようになりました。 昭和59年 には滝澤行雄先生に依頼されて、秋田市サンライフのために 生活活動診断システム を制作しました。このシステムは、人間の基礎代謝量、活動に要しているエネルギー、食事で摂取する栄養量を数値化してパソコンに記録し、健康な生活ができるようアドバイスするものでした。生活活動診断システムは秋田県の移動検診車用にも制作してあげたことがあります。その後は秋田市保健所で栄養判定のみ平成22年まで使い続けられました
 昭和61年 の暮れ、秋田赤十字病院では、昭和62年8月に秋田市で開催されるの人間ドック学会までに、同病院の人間ドック向けの 生活活動総合診断システム を開発したいということで、滝澤先生のご紹介で当時の秋田赤十字病院院長 竹本吉夫先生 元、日本赤十字秋田短期大学学長、平成14年11月2日逝去 )にお会いしました。竹本先生は、見た目は調子の良くない私に、あまり良い印象を持たれなかったようで、システムの制作を秋田市内のAソフト会社に依頼されました。しかしA社は、東京からパッケージソフトを持って来て、顧客向けにカイタマイズするのが主な業務でしたので、 生活活動診断システム のような、パッケージが存在していないシステムを造れる筈もなく、 昭和62年3月 になって匙を投げてしまいました。そこで竹本先生は滝澤先生を介して私に制作を依頼されました。期限の8月までは4ヶ月しかありませんでしたが、無事制作を終えることができました。 昭和62年3月 、竹本先生は第二十八回人間ドック学会の学会長講演の中で、 生活活動総合診断システム を紹介されました。この成功を機に、竹本先生は亡くなられるまで 病院情報システム の開発や、職員や看護師さん、看護学校学生の情報処理技術教育を私に依頼されるようになりました。 昭和63年4月 には電子工学科の卒業生を秋田赤十字病院の医療情報システム構築の要員として採用して頂きました。この頃から秋田赤十字病院の看護師さんや職員を毎年1名、秋田大学鉱山学部の聴講生として一年間入学して頂き、情報処理技術関係の講義を受けて頂くとともに、それぞれの仕事の中から情報処理技術で解決できる問題を提起させて研究して頂きました。これらの聴講生の多くの方は、研究成果を医療情報学連合大会や看護情報システム研究会で研究発表されました。1994年米国テキサス州サンアントニオで開催された(看護情報国際会議)では、二人の看護師さんが発表されました。この後、秋田市立病院の看護師さん達も聴講生になって頂き、研究発表もされました。私のところで看護情報システムについて学んだ看護師さん達は、情報技術について基本的に知識と、それを実際のシステムに適用する訓練を身につけていましたので、それぞれの病院の看護情報システムの構築に、大きく貢献したと聞いて居ります。
(June 24,2015 成田裕一